『プラモ作りたい、、、』一人の呟きで
急遽、【新潟福始建設㈱『器用王、不器用王決定戦!!』】を開催することになりました。
工作期間は4月16日から4月30日まで!
塗装も含んだ勝負となります。
参加人数4人、作るプラモデルは公平にするため全員日本の名城で勝負します。
勝負の判定は、素晴らしい作品(自分以外)に票を入れ、票が最も多い者が
優勝者となります。
逆に一番票が少ない者は不器用王のレッテルが貼られます。
優勝者には副社長から金一封。
不器用王は不名誉なレッテルが貼られ次の決定戦まで残ります。
言い出しっぺの副社長が優勝の場合はジュース1本です。
各、作品とも完成後は社内に飾ります。
代表・坂井は今大会決定戦を辞退しました
今回の新潟福始建設㈱『器用王、不器用王決定戦!!』のお題は日本の名城!
エントリーNo1 姫路城
「不戦・不滅の城」 近世城郭の最高傑作。
平成5年(1993)世界遺産にも登録されました。
白く美しい姫路城は池田輝政が築城した際、
「白漆喰総塗籠造」という方法で、
城壁や屋根瓦を白く塗り込んだためこのような色になりました。
担当・風間 誠
エントリーNo2 大阪城
日本の三名城の一つに数えられる。(※文献等による)
大正11年(1583)豊臣秀吉により豊臣大坂城を築城
豪華で壮大な城は大坂の陣により徳川軍に攻められ落城。
元和6年(1620)徳川幕府二代将軍秀忠により
西国の備えとし大坂城再構築に取りかかる。
大量の盛土で埋め、堀を広げ縄張りも大きく変更。
天下人の栄華と動乱の歴史を刻んだ名城。
特別史跡の大阪城は、現・大阪府 大阪市の名称と同じ【大阪城】と書きます。
歴史的な説明の場合は昔の名称【大坂城】と書き表す。
担当 木村 文生
エントリーNo3 彦根城
徳川四天王の一人・井伊直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談し
直政の意思を継ぎ、慶長8年(1603)琵琶湖に面した彦根山に築城を開始した。
※家督を継いだ井伊直継は幼少だったため木俣守勝がいなければ彦根城は
なかったかもしれない。
元和8年(1622)彦根城完成。
井伊氏は寛永10年(1633)には徳川幕府下の譜代大名の中で最高となる35万石を得る。
政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、
城本来の機能である軍事面でも優れています。
昭和27年(1952年)に国宝に指定。
担当 倉島 忍
エントリーNo4 松本城
戦国時代・永正年間(1504-1520)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が
林城を築城、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。
松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。
現存天守の一つとして国宝に指定されている。
城跡は国の史跡に指定をされている。
まさに国宝・松本城である。
※松本城は外壁面上の板に塗られた黒漆(くろうるし)の色から
黒い城=烏城(からすじょう)と呼ぶ人もいます。
ですが、文献上で『烏城』と呼ばれていた記述は見つかっていません。
そのため、松本城の別名は『烏城』ではない。
というのが松本城管理事務所の公式見解です。
担当 倉島 徹
根拠もなく間違いなく自分が優勝をすると思い込みをしている4人。
果たして勝負の行方は?
5月1日結果発表および作品をUPします。
器用王は誰の手に?
そして不器用王は誰が、、、。
令和6年能登半島地震の影響により新潟も至るところに道路が陥没しました。
1月中に応急で直されていたはずのこちらの道路は4月10日には再度陥没…。
今回の陥没は弊社で修繕工事の対応をさせていただきました。
再度陥没が起こらないよう万全を期して工事をさせていただきました。
弊社にとって令和6年1月1日が忘れられない年になりました。
元日に起きたR6年能登半島地震により
1月1日から約1か月間休みを返上し災害復旧工事等の
お手伝いをさせていただきました。
工事、委託の内容は肉体的にも精神的にもとても苦しく辛いものでした。
1日が終わらないのです。
気付けば何日間も20時間以上休まずにお手伝いをさせていただいております。
弊社には被災した地域に住んでいる従業員もいます。
自身の家族、住居も心配の中、家族に連絡をし
無事を確認すると変わらずに仕事を続けるのです。
被災地では、住民の皆様が夜も眠らずにずっと道路に出ている泥を
スコップですくっていました。
それは3日間過ぎても続いていました。
被災にあわれた住民の方に「休みもなくありがとうございます」と
感謝のお言葉を頂戴しました。
本当に辛いのはお手伝いをさせていただいている私たちではありません。
被災にあわれた住民の皆様です。
お手伝いをさせていただき誠にありがとうございました。
辛いときに自分より相手を気遣うことができる新潟を誇りに想います。
何ものにも代え難い、人としての大切な経験を私たちは積むことができました。
この度の令和6年能登半島地震による被害のお見舞いを申し上げますとともに、
一日も早いご復興を心よりお祈り申し上げます。
及ばずながら、弊社はいつでもご協力体制を整えております。
何なりとお申し付け下さい。
新潟福始建設株式会社 取締役副社長 倉島 徹